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SPACE-U

 

宮川崇展

 

2006年7月31日(月)〜8月13日(日)
12:00〜22:00

*8月5日(土)18:00〜人工混沌
(懇親会参加費2000円)

展示

宮川崇パフォーマンス

ー人工混沌ー

 

 

 

 

 

宮川崇の作品から感受できたこと
「意識のエレメントは『祈り』である」

 

タカユキオバナ

「1/無限」 2001 

「1/無限」 2001

私達は、習慣から来る捉え方に慣れ親しんでいることで、無限にある捉え方のたったひとつに執着している。もし、何かの出来事を好ましくないイメージに捉えてしまって困ったと感じている自分に気づいた時、これ以外の捉え方はないのだろうか?と考えられたならば、色々なことから解放されるに違いない。

捉えることを自在にするには、様々に捉えられることが前提になる。2001年8月に開催されたギャラリー人での宮川崇展は、このことを非常によく表していた。参照に上げた左の写真「1/無限」を見てほしい。これらの作品は、同じ何かの別の側面という考え方を端的に表している。宮川は、ものごとを統一して捉えようとする時の具体的な思考方法を示したと言える。統一するということは、別の何かに変換できるということに他ならない。おそらく宮川は、宇宙と人の意識との関係を探ろうとしていたのだろう。それはこの前年、ギャラリーQの個展で発表された「無題」No6-2に既に現れていた。

「無題」No6-2 2000

この作品は、宮川自らが生み出した記号を曼陀羅風に構成し、それを一焦点法によって表し、宇宙と意識の統一を試みようとしているのが見てとれる。この手の仕事の難しさは、始まりに対する問いが分からないというところにある。そこで宮川は、曼陀羅を無限トンネルで表すことを思いついたのだろう。こうすることで始まりのない意識を持った宇宙が象徴化される。

これまでの文脈でトンネル側面に描かれている曼陀羅風の記号を読み解こうとすると、この記号は、無限に捉えることが出来る何かの側面を、その一つひとつが象徴しているということになろうか?

「炎」 2003

本来自然に境目など有りはしない。何処までも繋がっているのだ。ヒトの意識が空と名付け、大地と名付け、海と名付け、太陽と名付け、月と名付け、地球と名付け、分けたのである。このように無限に名付けられ続ける自然は、ヒトの意識が捉えた、無限に捉えることが出来るたったひとつの側面であり部分である。ここに現れるのは、他者ではなく、ヒトの意識がそのように位置づけたいという欲望の現れである。そう捉えても良いし、そう捉えなくてもいい、何処までも捉え直すことが出来るものなのだ。そう考えると宮川が無限に捉え直そうとした同じ何かの別の側面を象徴する曼陀羅風の記号が気になってくる。宮川はいったい何の側面を描いたのだろうか?その答えは、2003年にギャラリー人で発表された「炎」にあると思われる。

そこには、最初は何でも良かったはずの何かに、もう一歩踏み込んだ宮川の意識が現れていた。本来一定の形を持つことがない炎や空に形を与え、エレメントをイメージさせることに成功していた。このエレメントは、物理的なものではない。宮川は、意識のエレメント化ということを考えていたと思われる。「炎」や「空」に託された想いは、「意識のエレメントは『祈り』である」ということ暗示させて止まない。


LINER NOTES VOL.1

宮川 崇インタビュー 意識の証明――《空箱》を巡って

(2006年8月 インタビュー・構成/美術ライター・岡部万穂)

2006年7月30日〜8月13日
スペースU企画(タカユキオバナ主宰)
「宮川 崇展」についてのテキスト

01 ――宮川さんの作品は、2000年に銀座のギャラリ ーQでの個展で発表された《無題》(ph00)とい う作品が強烈でした。正方形の大画面の中に無数 の記号を一焦点に収束していくという画面でし たが、遠近法の効果もあって、距離というよりは ものすごいスピードを感じました。しかし今思う とあれは一つ世界があるとしたら、その入口に立 ちながら同時にその終わりも見ている、というそ んな視点でもあったのではないかと思うのです が、あれはどんなイメージで作ったのですか?

宮川 遠近法を使い、消失点に向かって面が無限 に遠ざかるように見せるのは、イメージというよ り方法として選択したものです。まず最初にオリ ジナルの記号を作るという過程がありました (ph01)。それは《無題》にタイルのように貼り つけてあるものですが、その当時は……言葉によ る伝達ということに非常に絶望感を感じていた時 期で、構造主義の言語学の本を読んだりしていた のですが、その中に“言葉というものは差異によ る体系であって、言葉そのものの根拠は何もない” ということが書いてあり、とても衝撃を受けたん です。それは長年の言葉に対する自分のわだかま りを解決してくれる考え方で、目からウロコが落 ちるとともに、より伝達に対する絶望感が大きく なるものでした。自分だけのオリジナルの記号を 作ったのは、その衝撃を絶望感とともに何らかの かたちではきだしてしまいたいという個人的な動 機だったと思います。
 それらを個展のときに一つのパーツとして用い、 遠近法を使って配置することを、記号自体の無意 味さからそれを使ったコミュニケーションの可能 性を探る方向へと自分を向かわせる“方法”とし て選択したと思います。
 自分の位置から次の位置に行きたいという意志 みたいなものというか、空間に設置することによ って、無意味さを乗り越えられるような気がした んです。

――言葉による伝達に、なぜそれほどまでに絶望 感を持っていたのですか?

宮川 子供の頃からですね。対人関係をうまく築 くことができなかったり、自分の考えていること も他人にはわからないし、他人の考えていること も自分にはわからないという意識が強くあったん です。ただ、いろいろなことがわかる年齢になっ てくると、もっと具体的なことで思い悩むように なり、皆そうだと思うのですが、自分もいろいろ 思い悩んだすえに「自分は何かを理解していない からこんなに苦しむのだ」と考えるようになり、 そこで何か答のようなものがどこかにあって、そ れを知ることによって具体的な解決法が得られる んじゃないかと思ったんです。それでまずいろい ろな本を読んだのですが、無数の言葉の中には、 答のようなものは一向に見つからないんです。そ んなときにソシュール(注0)の構造主義言語論 に出合い、“言葉は絶対的な答を描写できない”と いう理論を見つけたんです。これは自分なりのか なり乱暴な解釈なのですが、でもそれでかなり楽 になりました。

――同時期に《Emptyness》(ph02)シリーズを 作っています。遠近法を使った構造は《無題》と 同じですが、無題が一つの世界を探る出発点だと したら、これは人間の意識体系のようなものがよ り具体的に視覚化されているように見えます。た とえば立体だと思っていても実際は平面である とか、平面の中にも立体感が含まれるというよう な、意識の多様性の部分を視覚化するという試み だったんじゃないかと思うのですが、こちらのシ リーズではどういう意識だったのですか?

宮川 そうですね。これは《無題》の曼荼羅の次 に出てきたシリーズなのですが、無題のシリーズ によって今まで平面を平面として扱ってきた作品 から、“奥行き”という絵画的なイリュージョンが 出てきたんです。実際に空間はないのだけれど、 空間に見える効果を、いわば意図したわけではな く偶然手にしたわけです。最初の個展のときに、 今まで記号として完全に二次元として扱っていた ものを、三次元的というか、一つのタイルのよう なものとして扱うことができるようになって、そ のタイルという構成要素によって新しい構成物を 作り出すことができることを発見したんです。最 初の個展でもいくつか試してはいるのですが、つ まり二次元的に使っていた記号を、遠近法を使っ て歪めるということをやり始めてから、二次元的 世界を三次元的に拡張することによって、二次元 的な制約を乗り越えることができた。ただ、それ もあくまで平面だけど立体に見えるという疑似三 次元ですが、しかし平面でありつつ立体という両 極端の要素を兼ね備えているという曖昧な状態、 つまり“実体がない”という状態がストレートに 見えている。言語のように、人間の実体のない精 神活動のようなものが視覚的に現れた一つのモデ ルだと思ったんです。

――絶望の発見から、絶望を形にして眺めている という視点に変わったわけですね。

宮川 つまり構造主義の考え方も、やはり言葉で 説明されているわけですよね。言葉のことを言葉 によって説明しているということは、実体のない ものを実体のないものによって説明するというこ とで、その矛盾は解決しきれない。しかし実体の ない人間の精神活動が、言語化ではなく視覚化さ れたと思ったんです。

――その発見は精神構造にどんな影響を与えま したか?

宮川 それは大きかったですね。まず言語という 実体のないもの、人間の精神活動全般といってい いと思うのですが、そういうものにかたちのとっ かかり、目で見てわかるとっかかりを、自分の思 考によってかたちづくることができるという可能 性を感じたというか、つまりかたちにできるとい うことに希望を持つことができたのです。
 だから一番最初の作品からemptinessへの道は、 既に開かれていたのかもしれません。《無題》と 《emptiness》はほぼ同時期に制作したものです が、非常に早い時期に次のシリーズができて、最 初の作品の総括になったと思います。

02 ――次は2001年に吉祥寺のギャラリー人(現在 は谷中に移転)で発表した《1/無限》(むげん ぶんのいち)(ph03)シリーズになっていくわけ ですが、これは一つの立体モデルを作り、それを あらゆる角度から撮影し、パネルに貼って展示す るという作品でした。ちなみに写真は何枚くら い?

宮川 使わなかったのを含めると500枚くらいで すね。

――前回のシリーズで、“実体のないものは視覚 で表すことができることに希望を持った”と言っ ていますが、あの赤い立体は、そうした目に見え る世界を象徴するかたちだったのですか?

宮川 あれは、ある幾何学形態を扱った本に一つ のわかりやすいモデルとして載っていたのをアレ ンジしたもので、あのかたちにピンときたのは、
 
 
  まずシンメトリーではないこと、それが見る角度 によって相当違うかたちに見えるだろうと思った ことです。そういうものを求めていたときに偶然 目にして、それを採用したということです。

――ものすごくいろいろな角度から見ています が、世界の見方が明らかにこれまでと違いますね。 あらゆる角度から見るという視点はどういう流 れから出てきたのですか?

宮川 《emptiness》シリーズで疑似三次元を作 るようになってから、実際の三次元の幾何学形態 に興味を持ちはじめて、自分でも立方体の枠を作 ってみたりしていたんです。実際に立体を作って それを手に取って眺めているうちに、一つの幾何 学形態が見る角度によってシルエットがいくらで も変わるという当たり前のことが分かったんです。

――意識的に立体を作ってみたのは初めてだっ たわけですね。

宮川 そうですね。三次元とは何かという意識を 持って作ってみたのは初めてでした。《1/無限》 では、一つの思考というものが“見えるもの”に なったんです。たとえば立体は、「一つの角度につ きそれぞれ一つの見え方がある」という説明を言 葉ではすることができます。でも実際に立体を手 に持ってくるくる回しながら見ていたとしても、 一瞬その角度から見た見え方は、次の別な角度か ら見ているときには見ることはできない。つまり 実際は、「常に一つの角度からしか見ることはで きない」わけです。だけどそれをさまざまな角度 から写真に撮ったものを並べて見せれば、一つの 立体をさまざまな角度からいっぺんに見ることが できる。そういう状態を作ることができるなと思 ったんです。人間の精神活動は一つの物体をいろ いろな角度から見た視点を総合的に把握して解釈 するわけですよね。しかしそれは頭の中で行われ ていることであって、その精神活動を目にするこ とは本来ないわけです。だけど、あらゆる角度か ら見た形を同時に展示することによって、精神活 動が視覚化される。《1/無限》では、実体のない 精神活動をまた異なる方法で視覚化することに成 功したと思うんです。

03 ――これまでは、精神活動といったどちらかとい うと内的宇宙の作品に見えていたのですが、次に 風景や宇宙、空などの写真を立体に貼りつけて見 せるという作品(ph04)になっていきます。この あたりからは内的な視線はだんだん世界全般を、 宇宙全体を見ていくという視点に移って行った ように見えるのですが、このあたりの展開につい て教えて下さい。

宮川 幾何学的な形態に写真を貼ったということ で別の展開を見せることができたと思います。 《1/無限》の発表で、自分自身とても印象に残 ったのが、相反するものが同時にそこにあるとい う状態は言葉によって描写することはできないけ れども、常に人間の認識の根本にあるものなので はないかということでした。それは多分自分が最 も重要なテーマだと思っていることだと思うんで すけども、世界というものは非常に多様で、ある 一つの視点から見ただけではわからないものであ り、同時に相反するものが共存している状態がむ しろ普通なんじゃないかと。要はそれがこの世界 の重要なルールなんじゃないか。それは言葉では 描写しきれない。そんな意識を《1/無限》のと きに明確に持ち始めたんです。

――世界観が確立されたわけですね。

宮川 そうですね。それで終わりではないですが。 最初期の“立体だけど平面”というような相反す る要素を、今度はより幅広く兼ね備えさせたいと 思うようになったんです。《1/無限》は写真を切 り抜いて貼ったものですが、疑似三次元という意 味ではこれまでと変わらなかったわけです。そこ で相反するものを兼ね備えているモデルとしての 疑似三次元を、三次元の側からとらえられないか ということを考えはじめたんです。つまり今まで は二次元世界に三次元的な要素を視覚的に導入す るという方法でしたが、逆に三次元世界に二次元 的な要素を入れることによって、新しい疑似三次 元を作る出せるんじゃないかと。三次元を二次元 化する、つまり疑似三次元というあいまいな状態 への、別な角度からの挑戦というか。
 それで幾何学的なかたちに写真を貼るというこ とを考えて、それが炎や星空や空になったわけで す。炎や空は、いわば人間の目が知覚するイリュ ージョンだから、それは無限に続く遠近法の画像 と性質は同じだと思うんです。

――宇宙や空を幾何学形態に貼るという方法は、 ものごとは相反する要素があるという世界のル ールを証明するための作業というわけですか。

宮川 相反するものがより離れたものであればあ るほど、それを一緒にしたときの衝撃力は大きい。 今までの要素からより拡張し、より遠く離れた要 素を一つにしたいと思い、空や炎を、自分からよ り遠いものとして選んだわけです。

――これらは単純に美しいですね。

宮川 調和ということ自体が美しいということも 言いたかったので、その意見はうれしいです。

04 ――今回の“空箱”シリーズ(ph05)は衝撃でし た。マジックミラー、発光ダイオードなど、鏡と 光を使った作品です。マジックミラーは外側の光 源の中では、中を見ようと思っても見えない。し かしあたりが暗くなり内側から発光すると初め て内部が見えるという構造ですね。今までと比べ ると、これらは自分自身の意識の内部を見るよう な気がするのですが。

宮川 鏡というのは2枚を向かい合わせにするこ とによって、その間で映像の増幅が起き、映され たものが無限に見える。鏡はきれいに光を反射す ることによって実際に目の前にあるものが映る非 常に面白い物体だと思うんです。
 鏡という二次元的な板は三次元の無限の広がり を視覚的に作り出す装置になる。それはつまり“閉 じた世界”と“無限の広がりを持つ世界”という 相反する要素が同時に起こっている一つの重要な モデルであるとずっと思っていたんです。それは 自分の作品のテーマと非常に近しいところにあっ て、それは宇宙とか炎といったシリーズの頃に非 常に強く思っていたことです。
 最初に、鏡を立方体に組み立てて正六面体の内 部が合わせ鏡になった状態を作り、全方位無限空 間という状況、つまり限定された空間の中に疑似 無限を作るという構想がありました。それもやは り疑似三次元ではありますが、一つの思考モデル としてぜひ手がけて見たいと思ったんです。最初 は鏡の立方体に穴を開けて中を覗くという試作を したのですが、それだと覗いている自分も見えて しまい、無限に広がる空間の中の一部しか覗けな いというフラストレーションがありました。その 問題点を解決するためには、自分が巨大な鏡の箱 の中に入ってしまえばいいと思ったのですが、技 術的に無理でした。しかし合わせ鏡による疑似無 限のエッセンスを何とかして作りたくて、6面の うち1面だけをマジックミラーにして1面全部を 覗き穴として使う方法も考えたのですが、それも やはり根本的な解決ではなかった。それで6面マ ジックミラーができたというわけなんです。それ を《空箱》と名づけて一つの思考モデルとして展 示したわけです。

――空箱というネーミングは?

宮川 般若心経の“空”からですね(注1)。 「からばこ」とも読めます。この作品は箱の中の 閉じられた空間であり同時に無限であるというこ とと、実体のないという“空(くう)”をひっかけ て名づけました。ちょっと気の利いた愛称をつけ たかったんです。

――《空箱》は、中間的な要素がたくさんありま すね。ボルトもやたらと大きいし、色彩に赤や青 の色がある。また、対向する壁面に小さな鏡が向 かい合わせに設置されていて、片方の鏡には光が 当たっているという作品がありました。この光源 自体も疑似無限を照らすための装置にすぎない のでしょうが、しかし片方の鏡に光を当てると、 その光は向かい側の壁に反射し、さらに向かい側 に設置してある合わせ鏡はその光をさらに反射 する。合わせ鏡の間に光を設置することによって 新たに生まれる関係性など、空箱のコンセプトと はおそらく無関係な部分の要素も気になるとこ ろでした。宮川さんの作品はとてもミニマルです が、これらのはからずも現れた要素には、非常に 叙情的なものも感じました。(ph06)

宮川 コンセプチュアルアートの作り方として、 ある一定のルールにのっとって制作をしていると、 その過程には意図しなかった効果が必ず現れると いうことがあります。それをサイドエフェクトと いい、次の作品はそのサイドエフェクトを使用し て作る。するとさらに違うサイドエフェクトが生 まれ、またさらに次にも生まれる。そうやって永 遠にサイドエフェクトが生まれ続けるという方法 論を学んだことがあります。その考え方にとても 感銘を受けたのですが、つまり精神活動を物質と して作ってみると、今言われたみたいな“壁に映 る影”といった、予想外の効果が生まれる。それ は精神活動内で処理していたのでは絶対に生まれ ないものがあるということを示しているのだと思 います。
 私は世界は非常にわかりやすく明らかなものだ と思っていて、大きなボルトにしても、接着しや すいということと、より構造を明確にするために 使っただけなんです。私は基本的に何かを暗示し たり、謎めかしたりしたくないんです。というの も、この現実が存在していることそのものが最大 の謎だからです。世界七不思議が不思議なんじゃ なく、世界があることが不思議なんです。宇宙が あって、生物が生まれて、なぜそういうことを考 える人間がいるのか。なるべく明らかな方法をと ることによって謎を顕在化させるというのが自分 の方法だと思っています。

――色や光といった要素についてですが、異なる 要素の共存という法則にのっとって考えると、精 神に相反する要素は肉体あるいは感情といった ものになるのでしょうか。少しテーマとは外れる 質問ですが、精神を箱というミニマルな物質へと 凝縮していく過程の中で、肉体や感情といったも のは削ぎ落とされていく要素ですか。

宮川 精神に対する要素というのは、肉体という より物質全般ですね。自分にとっては作品がある 意味肉体です。つまり物質化されるということは 肉体との接触を意味しているんです。手に取った りその気になれば舐めたりすることもできる。作 品を作るうえで、まず肉体があってということで はなくて、どうしたら物質の世界と記号的な世界 をつなぐことができるかということを常に考えて います。作品自体はミニマルなものですが、削ぎ 落としているというつもりはないんです。あくま でもイメージですが、自分の作品は精神活動と物 質がつながる特異点(注2)であるというふうに 考えているんです。精神と物質の間にある連絡口 のようなものでしょうか。

補足 「“自分自身”のことなど考えていたら死んでし まいます!」
 学生時代、現代美術の講義の中で李禹煥は叫ん だ。モノ派の教授が教鞭を取り、先時代のアート の残り香を90年代の空疎の中で辛うじて食み、 空の中から錬金術のように表現を模索する学生時 代を過ごしたのが70年代生まれのアーティスト たちだろう。「暗示を排除し、明らかな方法をとる ことによって謎を顕在化させる」方法論や、精神 と物質の間の特異点といった、精神と物質(肉体) を個別に捉える視点など、彼の作品はミニマルア ートに続くコンセプチュアルアートの先人たちの 影響を強く受けつつ、自己自身の表現という純粋 芸術のあり方を否定し、作品そのものの物質性や 表現性を排除することによって思考を解放しよう とする先人たちの方法論から宮川が編み出したの は、自己の思考そのものを物質として提示し、さ らに自己へと還元しながら世界を発見していく方 法だった。


 思考モデル=構造の提示は、人間の思考が世界 を開き、変え得るという一つのモデルでもあるの ではないか。


(注0)フェルディナン・ド・ソシュール:言語学者・言
語哲学者。言語を体系ではなく構造として捉える言語理
論は、のちに記号学を生み、記号学は構造主義の礎とな
った。

(注1)般若波羅密多心経における「空」:原語シューニ
ヤター。「何もない状態」の意。インド数字では「ゼロ
(零)」の意。

(注2)特異点:作者は「ビッグバーンの最初の凝縮さ
れた1点」という宇宙物理学的意味合いで使っている。
ここでは詳述は省く。


 

 

 宮川崇氏が主宰する現代美術ユニット「ん」

http://www.studionn.com/

 

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